富士山頂へ続く各登山道の歴史やその背景について学んでいきます。
前回は富士宮ルートの歴史について学びましたが、今回は現在最も利用者の多い「吉田ルート」について。
吉田ルート:吉田口登拝道
表口である大宮・村山口登拝道と双璧をなし、遅くとも中世の頃には存在していた登山道で、かつて日本武尊が開いたともいわれる伝説があります。
富士講の始まりとともに知られるようになり、特に1733年、富士講中興の祖、食行身禄が吉田口から登拝し七合五勺の烏帽子岩にて入定した後、江戸八百八講といわれた富士講の信者がこぞってこの吉田口から登拝するようになり、その賑わいは戦前まで続きました。
その後、1964年(昭和39年)富士スバルラインが開通したことにより、北口本宮浅間神社から吉田口6合目までに至るかつての登拝道は利用者が激減、その途上の山小屋や信仰の遺跡などは多くが廃墟となっています。
かつの吉田口登拝道は、北口本宮浅間神社を起点にし、神社の南にある古跡大塚山(かつての遥拝所)を訪ね、鈴原大日(一合目)→小室浅間神社(二合目)→三軒茶屋戸(三合目)→御座石浅間神社(四合目)→中宮社(五合目)→小御嶽神社(五合五勺)→烏帽子岩(七合五勺)→大行合(八合目)→日ノ御子(九合目)→頂上 薬師岳(現在の久須志岳)へ続きます。
廃墟となっている遺跡も多いですがその痕跡は今でも残っています。
現在の吉田口登拝道は前述したとおり、富士スバルラインの開通により富士スバルライン五合目(標高2305m)からの登山が主流になっています。富士講の名残から首都圏の登山者が多く、現在の四つのルートで最も人気高く登山者の半数以上がこのルートより山頂を目指します。
起点となる五合目には、多くのレストハウスや売店が軒を連ね、小御嶽神社への参拝客、また八ヶ岳や南アルプスの山々の眺望も素晴らしく、登山者以外の来場も多い年間を通しての観光スポットなっています。
登山においては、五合目から歩き始めると泉ヶ滝が吉田口登拝道五合目へ至る道との分岐になり、そこからしばらくすると六合目へ、その後七合目から頂上続く登山道の各所には20もの山小屋が各合目に点在します。救護所や警備員なども24時間駐在し、四ルートの中ではもちろん日本の山で最も手厚いともいえるサポートで登山ができる道になっています。
下山道は登山道とは異なる道となり、八合目までは須走ルートと同じ道で下り、それ以降は
登山道との合流地点となる六合目まで、ブルトーザー道でもあるスコリアなどの砂礫道(砂走りの道)を下山していきます。
標高が高いところからスタートし最も短時間で登頂・下山ができるのは富士宮ルートですが、登山に慣れていない方などはこの吉田ルートからの登頂がおすすめです。
ただ、登山者が多いことでピーク時の山小屋、そしてご来光時の登山道は大変込み合いますのでご注意ください。