お勉強

富士山を学ぶ:江戸の文学

松尾芭蕉

富士山を学ぶシリーズ、芸術の源泉編「江戸時代の文学」について学んでいきます。

源頼朝
富士山を学ぶ:中世の文学富士山を学ぶシリーズ、芸術の源泉編「文学」鎌倉時代~室町時代の文学について学んでいきます。前回は古典文学として平安時代の富士山に関する文学について学んできましたが今回は鎌倉時代以降になります。平安末期から鎌倉時代は富士山の噴火もおさまり、文学等において噴火に言及する記述もありません...

前回は鎌倉から室町に至る富士山に関する中世の文学について学んできました。
続いて今回は江戸時代の富士山に関する文学について学んでいきます。

この時代の富士山登場する文学は、漢詩・仮名草子・俳諧・紀行文・滑稽本・物語など多彩になります。

漢詩
中国の伝統的な詩で日本においても中華文明の伝来に伴い詠まれるようになりました。

今まで和歌集などで多くの富士山が詠まれているのを学んできましたが、「漢詩」においてもこの江戸時代から「富士山詠」として親しまれるようになります。
漢詩は飛鳥奈良の時代から多くの自然詠が表現され富士山についても少しずつ読まれてきましたが、江戸に入り東海道が誕生することで盛んになります。

石川丈山(1583年~1672年没)
もとは武将でその後文人となり江戸時代初期の漢詩の代表的な人物
「富士山」
仙客来遊雲外巓
神龍棲老洞中渕
雪如紈素煙如柄
白扇倒懸東海天

仙人が遊びに来たいという雲の上にそびえる山頂。
その山の洞窟には神龍が住み着いているという伝説もある。
絹のように美しい雪が降り積もり、扇子の柄のように煙を上げているその様子は白い扇子を逆さまにしたようで、東海の空高くに懸かっている。
『覆醤集』より

林羅山(1583年~1657年没)
名を信勝、法名は道春、羅山は数ある号の一つ。
朱子学派の儒学者であり思想家。
羅山は『丙辰紀行』『 癸未紀行』といった紀行文を残しているが旅の記述よりも名所解説や漢詩を添える内容になっています。
「富士山」
海東仰見富岩巓
三五州中烟景鮮
嶺上織衣神女手
雲如錦繡雪如錦

東の海より仰ぎ見る、その霞たなびく鮮やかな富士山の頂は、関東・東海の十五州随一の景色といえるだろう。
その頂の上では天女がみずから衣を織り、織られた雲は錦繍のようであり雪は綿のようである。
『 癸未紀行』より

漢詩における詠みは和歌と違い、恋に絡めた話より純粋に花鳥風月を楽しむものが多いようです。

仮名草子
江戸時代初期の仮名や仮名交じりの文で書かれた近世文学における物語等を総称したもの。富士山に関するものとしては「竹斎」「東海道名所記」が挙げられます。

『竹斎』は京の都に住む藪医竹斎が京都から江戸へ狂歌を詠みながら下っていくという滑稽な道中記。その道中の富士山の様子や浅間大菩薩のことなどが語られます。

また同じく江戸時代初期に成立したとされる『東海道名所記』神社仏閣名所旧跡を訪ねながら江戸より宇治までを旅する「竹歳」とは逆の旅を続ける名所記。
この記では富士山にまつわる伝説、富士山と琵琶湖、竹取物語とは異なったかぐや姫伝説などが語られます。

俳諧
主に江戸時代に栄えた日本文学の一つ。
その代表的な人物から富士山とこの時代の作品について学んでいきます。

松尾芭蕉(1644年~1694年没)
和歌の余興として始まった滑稽や諧謔を主としていた俳諧を、蕉風と呼ばれる芸術性の極めて高い句風として確立し、後世では俳聖として世界的にも知られる、日本史上最高の俳諧師の一人

芭蕉は37歳の時、深川に居を変えます。ここからは遠く富士山が望まれ『寒夜の辞』という文章でその様子を述べています。

深川三またの辺りに草庵を侘びて、遠くは士峰の雪をのぞみちかくは万里の船をうかぶ。
あさぼらけ漕行船のあとのしら浪に、蘆の枯葉の夢とふく風もやや暮過るほど、月に座しては空しき樽をかこち、枕によりては薄きふすまを愁ふ。
艪の声波を打って腸氷る夜や涙

それ以降『野ざらし紀行』や『士峯の讃』『泊船集』などで富士山に関する文を残し、代表作『おくのほそ道』では富士山は登場しませんが、その旅を終えた以降、元禄7年(1694年)に西国へ赴く折、箱根の関を超えるときに

目にかかる時やことさら五月富士

という句を得ています。この旅が芭蕉最後の旅となり、この年十月十二日この世を去っています。

与謝蕪村(1716年~1784年没)
江戸時代中期の俳人。江戸俳諧中興の祖といわれ、俳画の創始者でもある。
芭蕉を尊崇することが篤かった蕪村、富士山を吟じた俳句はさほど多くはありません。よく知られたものとしては

不二ひとつうづみのこしてわかばかな
あたり一面新緑に覆われている中で富士山だけが屹立している。

その他、
不二颪十三州のやなぎかな  降りかへて日枝を廿チの化粧かな などを読んでいます。

小林一茶(1763年~1828年没)
松尾芭蕉、与謝蕪村と並ぶ江戸時代を代表する俳諧師の一人
実に多くの俳句を生涯に残しその数2万句ともいわれ、富士山に関する句も多く残しています。

背戸の不二青田の風の吹過る

富士塚「浅草富士」に関する句で

かたつぶりそろそろ登れ富士の山

に代表されるよく知られた蝸牛シリーズ??の句も浅草富士に端を発した句といわれています。

その他にも

夕不二に尻を並べてなく蛙
お花から出現したかふじの山
脇向て不二を見る也勝角力
富士の気で鷺は歩くや大またに

などなど多数残していますがどれもわかりやすく、また一茶らしいユニークな表現のものも少なくありません。

『仮名手本忠臣蔵』
かの有名な忠臣蔵を題材にした人形浄瑠璃および歌舞伎の演目のひとつ。
この作品においては、歌川広重の浮世絵にも描かれた薩埵峠から見る富士山、山部赤人の歌が詠まれた田子の浦や三保の松原などが登場します。

『帰家日記』井上通女著 『庚子道の記』鈴木武女著
いずれも女性作者による東海道を旅する紀行文。
旅の行程は逆の方向になるが富士を望んだ場所は、どちらも現在の富士から沼津市周辺のようでそれぞれが浮島ヶ原より歌を詠んでます。

その他、賀茂 真淵その弟子の本居宣長といった国学者も富士山を詠んでいます。

江戸時代の富士山は、信仰の対象として富士登山の大衆化が始まり、また東海道が誕生したことにより現在の私たちが東海道新幹線などから望む富士山と同じように、その往来の道中において目にする機会が多くなった時代です。
文学や書籍として残っている富士山の様子や印象はその一部で、この時代には多くの人が富士山を間近にみてその雄大さ美しさに感動したであろうことが想像できます。

参考資料

ABOUT ME
インタープリター竹沢
静岡県裾野市在住。 人と自然をつなぐインタープリターでありたい。 富士山エコネット認定 エコツアーガイド 日本山岳ガイド協会認定 登山ガイドステージⅡ