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富士山を学ぶ:近代文学

富士山を学ぶシリーズ、芸術の源泉編「富士山の文学を学ぶ」今回でラストになります。

松尾芭蕉
富士山を学ぶ:江戸の文学富士山を学ぶシリーズ 芸術の源泉編<前回は鎌倉から室町に至る富士山に関する中世の文学について学んできました。 今回は「江戸時代の文学」について学んでいきます。この時代の富士山登場する文学は、漢詩・仮名草子・俳諧・紀行文・滑稽本・物語など多彩になります。まずは漢詩から、、...

富士山に関する近代文学について学んでいきます。
富士山は、明治から現代にいたるよく知られた多くの文豪らにも愛されてきました。

正岡子規(1867年~1902年)富士山に並々ならぬ関心を抱く

現在の愛媛県松山市に生まれる。本名は常規 俳号である子規はホトトギスに由来する。
俳句、短歌、新体詩、小説、評論、随筆など多方面にわたり創作活動を行い、日本の近代文学に多大な影響を及ぼした、明治を代表する文学者の一人。日本の俳人、歌人、国語学研究家。

子規は富士山に多くの関心を持ち、古典文学から富士山に関する記述を集めた『富士のよせ書』を三篇編むほか、富士山に関する短歌や俳句をおよそ40首近く残しています。

夏知らぬ 山は扇も いらぬかや いつもさかしに かけておくなり
ヒマラヤが やつてきたとて まけぬ也 敵にうしろを 見せぬふじ山
萬國の 博覧會に もち出せば 一等賞を 取らん不盡山

うれしくも のぼりし富士の いただきに 足わななきて 夢さめんとす

足たたば不尽の高嶺のいただきをいかづちなして踏み鳴らさましを
歌集『竹乃里詩』より



夏目漱石(1867年~1916年)三四郎に登場する富士山

明治の文豪として日本の千円紙幣の肖像にもなり『吾輩は猫である』『坊っちゃん』『こゝろ』など一般にもよく知られた代表作を残す。
前述の正岡子規とは同窓生として互いに大きな影響を及ぼしている。日本の小説家、評論家、英文学者。

子規の富士山への強烈な思いは漱石の作品にも影響を及ぼしたと言われています。
1907年一切の教職を辞して朝日新聞社に入社。その年職業作家としての初めての作品『虞美人草』を連載開始。この作品にて富士山に関する描写あり。
翌年、1908年『三四郎』を連載。主人公である三四郎らが富士山についての会話を交わしています。また、この作品において漱石の富士山に対する考えが登場人物の広田先生の言葉を借り述べられています。

徳冨 蘆花(1868年~1927年)逗子よりの富士
代表作小説『不如帰』や自然描写作品『自然と人生』で知られる日本の小説家。

晩年に残した自伝小説『冨士』や幾編の富士山賛歌がうまれた『自然と人生』など富士山と造詣が深い作家。本人自身、妻とともに富士登山に挑戦するも意識不明に陥ってしまう。
主に逗子(度々移転)を拠点とし逗子から望む富士山も多数描写されています。

泉 鏡花(1873年~1939年)逗子よりの富士
明治後期から昭和初期にかけて活躍、小説のほか、戯曲や俳句も手がけた小説家。

泉鏡花も逗子に生活の拠点を移していた時期がありその頃連載していた長編小説『婦系図』『春昼』にて富士が描かれています。

永井 荷風(1879年~1959年)東京らしさは富士山が見えること??
東京生まれの小説家、随筆家、翻訳者。 文化勲章受章。
代表作「あめりか物語」「ふらんす物語」など

富士山については『新帰朝者日記』『日和下駄』などで取り上げている。
『日和下駄』の一節には、東京の東京らしきは富士を望み得るところにある と「東京らしさは富士山が見えることである」と語っています。



北原白秋(1885年~1942年)妻と見た夜明けの富士
詩、童謡、短歌、新民謡など数多くの詩歌を残した近代の日本を代表する詩人。

第二歌集である『雲母集(きららしゅう)』に始まり『雀の卵』『観相の秋』『牡丹の木(ぼたんのぼく)』などにおいて多くの富士山をテーマにした作品を残す。
『観相の秋』に収められた長歌「黎明の不尽」では、妻とともに訪れた旅の途中 御殿場の駅路で一夜を過ごすこととなり、その時に見た夜明けの富士の美しさに打たれその感動を歌に詠んでいます。

あなあはれ、かのいつくしさ、このかうかうしさ。眺むれど見れども飽かず、ことにさへ筆にさへ出ね。あなかしこ、不尽の高嶺は日の本の鎮めの高嶺、神ながらくすしき高嶺、この高嶺まれに仰ぎてこのあしたあらたにぞ見て、この我や、ただこの妻と、ただ得も云へず涙しながる。
『観相の秋』秋山の歌

斎藤茂吉(1882年~1953年)箱根から望む富士
日本の歌人であり精神科医。

1913年処女歌集『赤光』を刊行。この作品にて「宮益坂」と題した八首の作品が収められその中で富士見をテーマにしたものが四首あり。
また、箱根から望む富士山の歌では『あらたま』『石泉』、飛行機からみた富士山を『たかはら』で詠んでいます。

若山 牧水(1885年~1928年)旅と酒を愛し富士山に魅せられた生涯
漂泊の歌人・酒を愛した歌人として知られる。

生涯にわたって旅人であったが、富士山に魅せられた牧水は長男に旅人・次男に富士人と名付け1920年には一家で富士山が望める沼津へ移住している。
沼津に移り住む以前より富士山について多くの歌を詠み、歌集『海の声』『渓谷集』『くろ土』『山桜の歌』『黒松』などに残されてます。

太宰 治(1909年~1948年)富士には月見草がよく似あふ
代表作『斜陽』『走れメロス』『津軽』『お伽草紙』『人間失格』など多くの作品が知られる小説家

「富士には月見草がよく似あふ」という御坂峠の文学碑にも刻まれる、有名な句を含む作品が『富岳百景』が富士山を描いた作品として知られています。

この作品は1938年初秋、東京での喧噪や不調に終わった縁談から心を新たにすべく、師である井伏鱒二を頼り富士を望む御坂峠の天下茶屋へ赴くところから話が始まります。
作品全体はその後の作品である『斜陽』や『人間失格』などとは趣きを異にし、地元の人々とのふれあいや、のちに妻となる美知子との出会いなど滞在中の心境をユーモアに表現した作品です。

三七七八米の富士の山と、立派に相対峙あひたいぢし、みぢんもゆるがず、なんと言ふのか、金剛力草とでも言ひたいくらゐ、けなげにすつくと立つてゐたあの月見草は、よかつた。富士には、月見草がよく似合ふ。
『富岳百景』



新田 次郎(1912年~1980年)気象庁職員にして直木賞作家
代表作『強力伝』『八甲田山死の彷徨』『武田信玄』など

気象庁に勤務の傍ら小説家として執筆活動を続け富士山レーダーの建設で中心的な役割を成し遂げたのち気象庁を退職し執筆活動に専念。山岳小説の第一人者として多くの山岳小説を残す。

富士山に関する作品では、強力の生きざまを描いた直木賞作品『強力伝』 山頂の気象レーダー建設を描いた『富士山頂』 明治期の真冬での気象観測の偉業を描いた『芙蓉の人』
富士講中興の祖といわれる食行身禄の生涯を描いた歴史小説『冨士に死す』 宝永の大噴火からの復興を関東郡代伊奈忠順を中心に描く『怒る富士』など多くの作品を残しています。

以上、今回見てきたもの以外にも富士山を題材にした歌・作品は多数ありますので、今後気になるものがあったら随時追加していきます。

参考資料

ABOUT ME
富士山ガイド竹沢
静岡県裾野市在住。 富士山に暮らす富士山ガイド 富士山エコネット認定 エコツアーガイド 日本山岳ガイド協会認定 登山ガイドステージⅡ