なぜ今、万葉集と富士山なのか?
「田子の浦にうち出でて見れば白妙の 富士の高嶺に雪はふりつつ」—— この歌を一度は耳にしたことがあるでしょう。百人一首でも親しまれているこの名歌は、実は奈良時代の万葉集に収められた、日本最古の富士山讃美歌の一つなのです。
現代の私たちが富士山に抱く畏敬の念や美しさへの感動は、実は1300年以上前の古代の人々とほとんど変わっていません。万葉集に込められた古人の想いを辿ることで、私たちは「なぜ富士山が特別なのか」という根源的な問いの答えを見つけることができるでしょう。
この記事では、古代文学を通じて富士山の「本当の魅力」を再発見し、現代に生きる私たちにとっての意味を探っていきます。

古代人にとっての富士山:神が宿る山
現代の私たちが富士山を「美しい山」として眺めるのとは異なり、古代の人々にとって富士山は何よりもまず「恐ろしい山」でした。奈良時代、富士山は活発な火山活動を続けており、噴火や溶岩流出を繰り返していたのです。
この激しい火山活動こそが、富士山信仰の原点となりました。古代の人々は、あまりにも激しく神秘的な自然現象に神の存在を感じ、富士山を「神が住む山」として畏れ、崇めるようになったのです。
活火山としての富士山
古代人の畏敬の対象
山部赤人:富士山を歌った歌聖
歌人としての山部赤人
山部赤人(やまべのあかひと)は、奈良時代前期を代表する宮廷歌人です。柿本人麻呂と並んで「歌聖」と称され、特に自然を詠んだ叙景歌に優れていました。下級官人として聖武天皇に仕え、各地への行幸に従駕して多くの名歌を残しています。
赤人が富士山を詠んだのは、東海道を通って東国に向かう公務の途中でした。田子の浦付近から見上げた富士山の荘厳な姿に深い感動を覚え、それを長歌と短歌で表現したのです。
山部赤人
【長歌(原文)】
天地の 分れし時ゆ 神さびて
高く貴き 駿河なる
布士の高嶺を 天の原
振り放け見れば 渡る日の
影も隠らひ 照る月の
光も見えず 白雲も
い行きはばかり 時じくそ
雪は降りける 語り継ぎ
言ひ継ぎ行かむ 不尽の高嶺は
【現代語訳】
天地が初めて分かれた太古の時から、
神々しい気配をまとい、
高く、尊い存在としてそびえてきた――
それが、駿河の国にある富士の高嶺である。
遥かな天の空に向かってその姿を仰げば、
天を渡る太陽の光でさえ、その頂に遮られ、
月の光もまた届かず、
流れる白雲でさえもその山を越えられずにとどまってしまう。
そして、季節を問わず、富士には常に雪が降り積もっている。
この神聖な山の姿は、これからも語り継がれ、
人々の記憶に生き続けていくだろう。
――富士の高嶺は、まさに語り継ぐべき存在なのだ。
【反歌(百人一首で有名な歌)】
田児の浦ゆ うち出でて見れば
真白にそ 不尽の高嶺に
雪は降りける
現代語訳:
田子の浦のほとりを通って外へ出て眺めれば、
まっ白な雪が、富士の高嶺に降り積もっていた。
この歌の革新性
- 時空を超越した視点:「天地の分れし時ゆ」から始まり、神話的時間を導入
- 感覚的な描写:太陽・月・雲・雪という自然現象との対比で富士山の偉大さを表現
- 永続性への願い:「語り継ぎ言ひ継ぎ行かむ」という未来への継承意識
- 瞬間の感動:反歌では「うち出でて見れば」の瞬間的な視覚的インパクトを重視
高橋虫麻呂:富士山の神性を歌う
赤人に続いて富士山を詠んだもう一人の重要な歌人が高橋虫麻呂です。彼の歌では、富士山の火山活動に焦点を当て、より直接的に富士山の神性と畏怖すべき力を表現しています。
高橋虫麻呂
【長歌(抜粋)】
なまよみの 甲斐の国
うち寄する 駿河の国と
こちごちの 国のみ中ゆ
出で立てる 不尽の高嶺は
天雲も い行きはばかり
飛ぶ鳥も 飛びも上らず
燃ゆる火を 雪もち消ち
降る雪を 火もち消ちつつ
言ひもえず 名づけも知らず
霊しくも います神かも
現代語訳(抜粋):
甲斐の国と駿河の国、その両国のあいだに、
堂々とそびえ立つ富士の高嶺。
その高さは尋常ではなく、
空を行く雲すら、その山を前にして足どめを食らい、
飛ぶ鳥でさえ、その頂にはたどり着けない。
燃えさかる火が、雪によって消されることもあれば、
逆に、降りしきる雪が、火の熱に溶かされることもある。
その山の中には、火と雪がせめぎ合っているのだ。
言葉ではとうてい言い尽くせず、
簡単に名づけることもできない――
まさにこの地に神が鎮まっておられる、
そうとしか思えない、神秘と畏敬の念に満ちた山である。
火山活動
燃ゆる火を雪もち消ち
永遠の雪
降る雪を火もち消ちつつ
神性
霊しくもいます神かも
虫麻呂の歌が示す古代の自然観
虫麻呂の歌では、火と雪という相反する要素が同時に存在する富士山の不思議さが強調されています。これは古代の人々が、自然界の神秘的な力に対して抱いていた畏敬の念を表現したものです。「言ひもえず名づけも知らず」という表現からは、人間の言葉では表現しきれない神聖な存在として富士山を捉えていたことが分かります。
万葉集から現代へ:受け継がれる富士山観
古代文学が現代に与える影響
万葉集に収められた富士山の歌は、その後の日本文学や芸術に計り知れない影響を与えました。平安時代の古今和歌集、鎌倉時代の新古今和歌集でも富士山を詠んだ歌が多数収められ、室町時代以降の能楽、江戸時代の浮世絵、近現代の文学作品まで、一貫して富士山は日本人の心の象徴として描かれ続けています。
古代の視点
- 神が住む聖なる山
- 火山活動への畏れと崇拝
- 国土の守護神としての富士山
- 言葉では表現できない神秘性
- 共同体の結束の象徴
現代の視点
- 日本の象徴・文化的アイコン
- 美しい景観・観光資源
- 世界遺産としての価値
- スピリチュアルな存在
- 国民的アイデンティティの核
現代人への示唆
万葉集の富士山讃美歌が現代の私たちに教えてくれるのは、自然に対する畏敬の念の大切さです。科学が発達した現代でも、自然の前では人間は謙虚であるべきであり、その神秘性や美しさを次世代に「語り継ぎ言ひ継ぎ行く」責任があることを、1300年前の歌人たちが既に歌っていたのです。
おわりに:千年を超えて受け継がれる想い
「田子の浦にうち出でて見れば白妙の 富士の高嶺に雪はふりつつ」—— この歌を改めて味わってみると、山部赤人が感じた感動の瞬間が手に取るように伝わってきます。視界が開けた瞬間に目に飛び込んできた真っ白な富士山。その圧倒的な美しさと神々しさに、思わず歌わずにはいられなかった古代人の心。
これは決して過去の話ではありません。現代を生きる私たちも、富士山を目にした時に感じる特別な感情は、1300年前の歌人たちが抱いたものと本質的には同じなのです。時代は変わっても、人間の心の奥底にある「美しいものへの感動」「自然への畏敬」「神秘的なものへの憧れ」は変わらないのです。
富士山が私たちに教えてくれること
永続性
時代を超えて変わらない美しさと存在感
謙虚さ
自然の前での人間の小ささと畏敬の心
共感
美しいものを分かち合う人間同士の絆
万葉集の富士山讃美歌は、単なる古典文学の一節ではありません。それは私たちの先祖から受け継いだ精神的な遺産であり、現代の私たちが未来の世代に「語り継ぎ言ひ継ぎ行く」べき宝物なのです。
富士山を愛するということは、1300年前から続く日本人の心の系譜につながることです。そして、その感動を次の世代に伝えていくことで、私たちもまた、この美しい伝統の一部となるのです。
あなたも富士山の魅力を再発見してみませんか?
古代から現代まで愛され続ける霊峰富士。その真の魅力を、ぜひあなた自身の目で確かめてください。