富士山頂へ続く各登山道の歴史やその背景について学んでいきます。
ここまで、富士宮ルート・吉田ルートの歴史について学んできましたが、今回は富士山東麓よりのルート「須走ルート」の歴史やその背景について学んでいきます。
須走ルート:須走口登拝道
現在の静岡県駿東郡小山町に位置する富士山東麓、東口本宮富士浅間神社(須走浅間神社)を起点に、八合目で吉田口登拝道と合流し薬師岳(現在の久須志岳)に至る登拝道。「東口」とも称されます。
須走口を利用したのは、大山を参拝したのち、足柄峠を経てやってくる江戸を中心とした登拝者たちの他、富士講以外の登拝者も多かったと言われています。
起点となる須走浅間神社は、802年延暦の大噴火での富士山東麓での噴火後、807年に社殿が造営されたのが起源とされ、頂上までの登拝道も平安時代遅くとも鎌倉時代には開かれていたと考えられています。また、六合目付近から1384年の銅造懸仏(どうぞうかけぼとけ)が出土しており、室町時代までには、ふもとの須走がこの登拝道を山頂まで支配していたことが窺えます。
1707年には宝永の大噴火により火山灰に覆われ登山道が壊滅してしまいますが、翌年の登拝シーズンまでに、他の被災地よりも優先的に江戸幕府よりの支援を受けて復興します。
その後、御殿場口登山道の開設により五合目までの登拝道は衰退。
現在では、馬返し・ニ合目狩安から五合目までの旧登拝道は通行できます。
須走ルートの起点、須走口新五合目は標高2000mと御殿場ルートに次いで標高が低い位置からのスタートになります。
須走口を出発してすぐに、古御岳神社がありその先はツガやダケカンバなどの原生林をしばらく進みます。やがてシラビソらのある樹林帯を抜け緩やかな登山道を登ってていくと、灌木が目立つようになり六合目へ。
ここから先は森林限界となり砂礫帯を進んでいきます。七合目からはブルドーザー道や下山道を交差しながら登っていき、大行合(おおいきあい)と呼ばれる本八合目で吉田ルートと合流します。
下山ルートは登山道とは異なる砂走りの道で下山していきます。
登山口の標高は低いですが、他の登山道がほぼ森林限界からのスタートに対し、須走ルートは周囲を森に囲まれたゆるやかな登山道を進みます。その後もしばらくは急登の印象も強くなく、吉田ルートに合流するまでは登山者も多くはないので、比較的登りやすい登山道ともいえます。
昭和天皇や令和天皇もこの登山道から登頂しています。