お勉強

富士山にまつわる伝説

インタープリタータケザワです。

浅間神社
富士山を学ぶ:富士山と人の歴史(鎌倉時代~現代)今回も富士山について学んでいきます。前回に引き続きテーマは富士山と人の歴史。今回は、鎌倉時代以降の富士山と私たちについての関りを学んでいきます。古墳時代から平安時代にかけては富士山の噴火活動が活発な時期でしたが鎌倉時代からは落ち着き始め、富士山の噴火の様子も「新古今和歌集」や「山家集」に多少、歌として残されている程度で大きな噴火の記録はありません。...

今日も富士山について学んでいきます。
今回のテーマは「富士山にまつわる伝説」

学ぶというよりは、日本一の山である富士山にも色々な伝説や民話・昔話がある事を知ろうというもの、そしてそれだけ身近で親しみのある山であることを再認識しようというものです。

まずは日本最古の物語と言われる「竹取物語」
一般的なストーリーとしては、
おじいさんが竹の中から見つけた女の子「かぐや姫」」を我が子として育て、やがて美しく成長したかぐや姫は5人の貴族たち、そして帝から求婚されるも最後は月に帰っていくという話です。

この話の最後で帝はかぐや姫からもらった不老不死の薬を多くの兵士(つわもの)を連れて駿河の国の山の頂きで焼きました。
それ以降その山を、士(つわもの)が富める山もしくは不死の山として「ふしの山」(富士山)と名付けられたといわれています。
その煙は今も雲の中で立ち込めているという記述もあり、この当時の時代背景である平安時代、富士山は噴火を度々引き起こし頂上からも常に噴煙を上げていたことが想像できるためこの駿河の国の山、ふしの山が富士山であることと合致します。

また富士山の麓、富士市にはかぐや姫は月ではなく富士山に帰ったという伝説も残っています。その伝説にちなんだ「竹採公園」もあります。



似たような話で羽衣伝説があります。
こちらは最後、天女が羽衣を身に着けて天上へ帰るという話ですが、富士山から最も離れた世界文化遺産富士山の構成資産の一つ「三保松原(みほのまつばら)」でもこの地を舞台にした羽衣伝説が言い伝えられています。

続いて富士山背比べ伝説。
各地で色々な山が富士山と背比べをした話が残っています。

伊豆地域に伝わる、下田富士・駿河富士(富士山)・八丈富士の三姉妹の背比べの話。
富士山VS八ヶ岳の背比べで、怒りっぽい(おそらく噴火をしていたことから)富士山が八ヶ岳の頂上をボコボコにかち割った話。
また、加賀の白山VS駿河の富士山の背比べの話。
日本百名山最高峰の富士山VS日本百名山中最も低い筑波山の話(この二つの山は富士山がはじめて書物に登場した『常陸国風土記』においても比較されています)
以上いずれも似たような話が多く、最終的に富士山は一番高い山として話が終わっています。



そして、日本一の山富士山と同じく日本一の湖である琵琶湖との伝説もあります。

その昔、神々の間で国づくりの相談をしていたところ、駿河の国に日本で一番高い山を、近江の国に日本で一番大きい湖をつくることとなり、国づくりの神であるだいだらぼっちが近江で土を掘りそれを駿河へ運びました。一夜で仕上げる予定が最後のひともっこを担ぎ上げた瞬間に一番鳥が鳴き落胆しただいだらぼっちは土を落としてしまい、そのため富士山の頂上はいまでも平に見えるという話です。

またこの伝説が縁で、富士山のある富士宮市と琵琶湖のある近江八幡市は「夫婦都市提携」を結び富士山頂から持ち帰った湧き水を琵琶湖に注ぐ恒例行事「お水返し」などの様々な交流を続けています。

また、日本国内にとどまらず中国の伝説と富士山にはつながりがあります。
古代中国、秦の始皇帝の時代、秦の方士(呪術師的な人)であった徐福が、始皇帝の命により、遥か東の海の向こう蓬莱山という山にある不老不死の霊薬を持ち帰るよう命じられ、多くの部下らを連れ旅立つも、その後は秦に帰らず。
という話があります。
この徐福が向かった先が日本であり、目指した山、蓬莱山が富士山であったという伝説です。(富士山に生育するコケモモは長寿の実と言われますが、まさか。。。。)
その後、徐福は一緒に渡ってきた者たちとともに秦(はた)と称し日本に帰化したという話もあります。
色々な話がくっついてそれっぽくなっていますね。
徐福伝説も日本各地のみならず中国においても朝鮮においても様々な説があるようです。

今回は以上です。

その他、聖徳太子や木花咲耶姫の話をはじめ、各地域にも富士山に関連する伝説や言い伝え・昔話があります。
今後も面白そうな話があれば紹介したいと思います!!

参考資料

 



ABOUT ME
富士山ガイド竹沢
静岡県裾野市在住。 富士山に暮らす富士山ガイド 富士山エコネット認定 エコツアーガイド 日本山岳ガイド協会認定 登山ガイドステージⅡ