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富士山を学ぶ:富士山と人の歴史(鎌倉時代~現代)

浅間神社

こんにちは。
今回も富士山について学んでいきます。

前回に引き続きテーマは富士山と人の歴史

奥宮
富士山を学ぶ:富士山と人の歴史(縄文時代~平安時代)今回は、私たち日本人と富士山の関わりの歴史について学びます。縄文時代の始まりは今からおよそ1万6千年前と言われており、新富士火山の噴火が活発になり始めた頃とほぼ同じ時期です。よって、富士山と私たち日本人の草創期は同じであるともいるのではないでしょうか??そしてこの時代は最終氷期の末期でもあり地球が温暖化に向かう時期でもあります。...

今回は、鎌倉時代以降の富士山と私たちについて日本人のかかわりを学んでいきます。
古墳時代から平安時代にかけては富士山の噴火活動が活発な時期でしたが鎌倉時代からは落ち着き始め、富士山の噴火の様子も「新古今和歌集」や「山家集」に多少、歌として残されている程度で大きな噴火の記録はありません。

そしてこの時代富士山南麓で盛んに催されたのが「巻狩り」

1193年には時の将軍、源頼朝が選りすぐりの武将を1500騎集め一ヶ月に及ぶ大規模な「富士の巻狩」を開催しています。
巻狩りは、勢子とよばれる追いつめ役が、シカやイノシシなどの動物を囲み追い立て、武将ら射手が馬上から矢を放ち、仕留める大規模な狩猟です。
この大規模な狩猟は、頼朝が征夷大将軍たる権威を誇示するためや軍事演習などの目的があったとされています。
富士の巻き狩りの範囲は、現在の御殿場市や裾野市から富士宮市の朝霧高原に及んだといわれ、その様子は鎌倉時代に成立した日本の歴史書「吾妻鏡」に記されています。

また、現在でもその名残として、富士宮市の富士山本宮浅間大社や三島市の三嶋大社などにおいて頼朝に因んだ流鏑馬(やぶさめ)が奉納されています。

その他富士山周辺で頼朝ゆかりの場所として、頼朝が馬をつないだとされる「刈宿の下馬ザクラ」、頼朝一行が巻狩りの最中、滝の近くに一夜の陣を敷いたことが由来とされる「陣馬の滝」、日本三大仇討の一つ「曽我仇討ち」で知られ、巻狩りにも参加した曽我兄弟が相談した場所とされる「音止めの滝」などがあります。

続いて、室町時代および安土桃山時代。
このころから富士山の信仰登山が一般化されてきます。

室町時代の登山の様子を描いたものとして、富士山本宮浅間大社に所蔵されている高さ2mに及ぶ、「絹本著色富士曼陀羅図」があり、東海道から大宮(今の富士宮市)に入り浅間大社で禊をしたあと、頂上にある三体の仏様を目指す登山者らの様子が描かれています。

そして、動乱の安土桃山時代、富士講の開祖 長谷川角行が、富士山の溶岩洞窟「人穴」で悟りを開き、その信仰を広めていきます。
また、戦国時代には甲斐の武田信玄勝頼親子が浅間神社を崇敬し社殿の修繕などを行っています。

江戸時代は、富士講が隆盛を極めた時代です。
1643年に角行が生涯を閉じた以降、その弟子たちが講祖となって江戸を中心としてその信仰を広げ「江戸八百八講」と例えられるくらいに多くの講がつくられました。
ちなみに講とは同一の信仰を持つ人々による結社のことで、特に中世のころから様々な信仰集団にその名称がつけられるようになっています。
また、各地には富士山のミニチュア版である富士塚が造られ、庶民の間にその信仰が広がっていきます。
1707年には宝永の大噴火が起こり山麓を中心に甚大な被害をもたらしますが、この噴火により富士山への畏怖がさらに高まり富士講への信仰が篤くなっていきました。

また、1831年には葛飾北斎作による「富岳三十六景」1859年には歌川広重による「富士三十六景」が刊行されるなど信仰の対象としてだけでなく富士山が身近な存在として受け入れられ始めたのもこの時代です。
1854年には、日本が開国されてから6年後の1860年英国公使オールコックが外国人で初めて富士登山に成功します。

明治に入ると廃仏毀釈の影響もあり富士山は修験の山から観光登山の山へと変化していきます。
富士山における廃仏毀釈の影響は、富士山中や山頂の仏像・仏具が取り払われ、山頂の地名もすべて変更させられることになりました。
現在でも八つの峰はそれぞれ、剣が峰・白山岳・久須志岳・大日岳・伊豆岳・成就岳・駒ケ岳・三島岳と呼ばれ仏教名は使われておりません。
以後、富士山周辺では開発が進み五合目までの車の乗り入れも可能となり、年齢・性別・国籍問わず多くの登山者や観光客で賑わう世界にも知られた日本を代表する観光名所となっていきます。

以下、明治以降の富士山における主な出来事。

1872年(明治5年)女性の富士登山が解禁、山岳信仰者だけでなく大衆にも広く富士登山が行われるようになっていきます。
1880年(明治13年)富士山頂にてはじめての気象観測が実施される。
1889年(明治22年)東海道線(今の御殿場線含む)が東京-神戸間で開通しそれに合わせ御殿場口が開かれる。
1964年(昭和39年)富士山スバルラインが開通。また富士山気象レーダーが山頂に設置される。
1966年(昭和41年)富士山スカイラインが開通。
1992年(平成3年)山梨・静岡両県の自然保護グループでつくる「富士山を世界遺産とする連絡協議会」が発足
2013年 (平成14年)6月22日 第37回世界遺産委員会にて世界遺産登録決定
2020年(令和2年)新型コロナウイルスの影響により史上初の富士山夏山閉鎖

かつて噴火を繰り返し恐怖の存在であった山が、やがて信仰の対象となり、現代においては、「俗物」「偉大なる通俗」と呼ばれるくらい身近な存在となり、世界にも知られ日本の顔ともいうべき観光名所となった日本一の山。

今も昔も畏怖すべき偉大なる山、富士山。

参考資料

ABOUT ME
インタープリター竹沢
静岡県裾野市在住。 人と自然をつなぐインタープリターでありたい。 富士山エコネット認定 エコツアーガイド 日本山岳ガイド協会認定 登山ガイドステージⅡ