お勉強

富士山を学ぶ:修験道

大鹿窪遺跡

はい。

今回も富士山について学んできます。

前回は富士山にまつわる伝説について紹介しました。

竹取
富士山にまつわる伝説今回のテーマは「富士山にまつわる伝説」学ぶというよりは、日本一の山である富士山にも色々な伝説や民話、昔話がある事を知ろうというもの、そしてそれだけ身近で親しみのある山であることを再認識しようというものです。まずは日本最古の物語と言われる「竹取物語」...

富士山は古来の日本人にとっても特別なもので、度々噴火し被害をもたらす恐怖の存在でありながら、その存在感から畏怖の念を抱くようになり、やがて信仰の対象となっていき、
現在では「信仰の対象及び芸術の源泉」として世界文化遺産に登録される日本を代表する山として世界にも知られています。
そして今回は、信仰の対象としての富士山とは??をテーマに、今に至る富士山の信仰の歴史について学んでいきます。

かつて富士山は度々噴火をしていたこともあり人を寄せつけぬ山として遠くから仰ぎ見る山でした。
まだ新富士の火山活動の収まらぬ縄文時代より富士山周辺で人々は生活し、大鹿窪遺跡や千居遺跡などその痕跡が今でも残る場所からは当時の人々が富士山を遥拝していたであろう遺跡も見つかっています。
遥拝・・・富士山などその信仰の対象を離れた場所から仰ぎ見る信仰のこと。

世界遺産富士山構成資産の一つ山宮浅間神社も社殿のないかつての遥拝所です。

山宮浅間神社

かつて離れた場所から仰ぎ見る遥拝が中心だった富士山の信仰は時代とともに、富士山を登ることにより信仰する登拝へと移り変わっていきます。
そしてこの登拝のきっかけとなったのが修験道
修験道は山へこもって厳しい修行を行い悟りを得ることを目的とした山岳信仰と仏教が習合した信仰です。

そしてその修験道の開祖と言われる人物に役小角という飛鳥時代の山岳修行者・呪術者がいます。
別名、役行者(えんのぎょうじゃ)、役優婆塞(えんのうばそく)など。
実在の人物といわれますが後世の逸話の影響により伝説の人物とみられることもあります。『続日本紀』に初めて登場。

役小角は西暦634年、大和の国、現在の奈良県に生まれます。金剛山や熊野、大峰の山々で修業し修験道の基礎を築きます。
その後、699年に役小角を快く思っていないものから妬まれ、人々を惑わしているという罪で伊豆大島に流刑されます。その地で孔雀明王の呪法と呼ばれる術で、夜になると伊豆大島から抜け出し海上を歩き富士山を飛び回り洞窟で修業をし明け方伊豆大島に戻ったという伝説があります。没、701年

世界文化遺産富士山の構成資産、村山浅間神社においても役小角が修業したとされその仏像が所蔵されていますが、圧倒的に伝説が多い人物で小説や漫画の題材にもされるほどです。
代表的なものとしては、南総里見八犬伝・宇宙皇子・真幻魔大戦・鬼神童子ZENKIなど

続いて末代上人。
「富士山開山の祖」ともいわれる人物。

平安時代末期に富士山に登頂し山岳修行を行った人物。
富士修験道の基礎を築いたことから「富士上人」とも呼ばれています。
また、伝説では富士山の頂上には100回以上登頂したといわれ、六根清浄(どっこいしょの語源といわれる)を唱えながら修業し富士山頂に大日堂という堂を建立しています。
のちに、末代上人は村山(現在の富士宮市)で即身仏として成仏したといわれています。

役小角および末代上人との関係が深い村山浅間神社はかつて「大宮・村山道」の要所として多くの修験者が訪れ登拝を行った場所で、「絹本著色富士曼陀羅図」においてもその様子が描かれています。
しかし、村山道はその後、宝永の大噴火による道の一時的な通行不能や富士講の隆盛により北口や東口へと登拝者が移り、更に御殿場口や村山を経由しない富士宮口登山道が整備されたことに荒廃していきます。
現在では地元の有志らによりかつての登山道が「村山古道」として、標高469mの村山浅間神社から標高2490m付近、現在の富士宮登山道6合目へ取り付く道が整備されています。

村山古道

次回は富士山信仰がその隆盛を極める富士講について学んでいきます!!

参考資料

ABOUT ME
インタープリター竹沢
静岡県裾野市在住。 人と自然をつなぐインタープリターでありたい。 富士山エコネット認定 エコツアーガイド 日本山岳ガイド協会認定 登山ガイドステージⅡ