どもタケザワです。
富士山を学ぶシリーズ今日は「富士五湖」
参考資料
※年代等細かい部分は現在の通説と異なる部分があるかもしれませんが基本はこちらの本を参考文献として進めていきます。ご容赦くださいね。
富士五湖は、山中湖・河口湖・西湖・精進湖・本栖湖の5つの湖の総称。
いずれも世界遺産富士山に含まれています。
ただ、山中湖・河口湖は独立した構成資産であるのに対し、西湖・本栖湖・精進湖の3つの湖は富士山域という大きな枠の中に含まれた一部としての登録になっています。
なぜでしょうね?そのあたりの考察はまたいつか。
まずこの富士五湖という名称は近年になって富士急の創設者によって命名されたものです。このの地域を1つの観光地にするという意図でしょうか。その戦略は成功しましたね。
またかつて冨士講が盛んであった時代には富士五湖に四尾連湖、明日見湖、泉津湖もしくは須戸湖を加え「富士八海」という巡礼地の総称としての呼称もありました。
そしてこの富士五湖の成り立ち。
かつての本栖湖・精進湖・西湖の3つの湖は「セの海」と呼ばれる1つの湖であり、山中湖も忍野八海を含む忍野村一帯とともに「宇津湖」と呼ばれる湖であったといわれています。
※学術的に宇津湖は存在しなかったという説が有力
新富士火山が活動を始めた頃それまでの川を堰き止め溶岩流が流れ込み誕生したのが河口湖。また、セの海に流れた溶岩流によりセの海は分断され、本栖湖が誕生。
そして西暦800年延暦の大噴火の溶岩流によって宇津湖または桂川が分断され山中湖が誕生。さらに西暦864年有史以来最大の噴火といわれる貞観の大噴火により再びセの海は溶岩によって埋め尽くされ精進湖と西湖が誕生しました。
本栖湖・精進湖・西湖はそれぞれ水面の高さ(水位)が902mと同じ。
これがかつて1つの湖であった(セの海)示すものになっています。
また、1つの湖で大雨となり増水すると他の湖は雨が降っていないのにも関わらず増水するという現象も起こり3つの湖が地下で繋がっているという「湖底連結説」もあります。
何年か前にNHKでも調査の模様が放映されていましたが、いまだはっきりとした湖底連結説に関する証拠はみつかっていません。ただ、いつか地下トンネルのようなものが発見されるかもしれませんね。
宇津湖についてのように過去の説が、その後の研究で覆されたり修正されたりすることが度々あります。ただそういった説があったというのは事実であり、その説が興味の入り口になることも多々あるのでこのブログではそのような覆されたり修正されたり説もあわせて学んいきます。
富士五湖はいずれも富士山の噴火による溶岩によってせき止められた「堰止め湖」で富士山が噴火したからこそ誕生した湖です。
そして山中湖だけが唯一自然の放水河川、桂川を持っていますが、かつて他の湖では自然放水する河川がなくたびたび大雨による増水被害に遭っていましたが、江戸時代よりの放水路建設により大きな被害はなくなりました。
また、精進湖の南東には「幻の湖」「富士六湖」とよばれる「赤池」があります。
この湖の場所は普段は草に覆われた湿地ですが大雨等の影響で精進湖の水量が増えることにより地下水を通じて現れるといわれるまさに幻の湖。
最近だと2011年にも現れ話題になりましたね。
かつては日常的に見られた頃もあったようですが、いつ頃から姿を消したのか?またその理由は?との疑問がありますがその直接の原因はわかっていません。
一説には「精進湖と地下でつながっていると言われる本栖湖と西湖の水を、水力発電用に放水し始めた50年ほど前からではないか」とも言われています。ここでも湖底連結説がでてきますね。
と、ここまで、富士五湖全体の話を学んできましたが次回からは一つ一つの湖について学んで行きます。