皆さん、こんにちは! 今回は、鎌倉時代の歴史書である『吾妻鏡』を紐解き、当時の人々がどのように富士山を見ていたのかを探ってみたいと思います。現代の私たちとは異なる視点から、富士山の魅力に迫ってみましょう。

『吾妻鏡』とは?
『吾妻鏡』は、鎌倉幕府の成立から滅亡までを記録した歴史書です。鎌倉時代の出来事を日記形式で記述しており、当時の政治や文化、人々の生活を知る上で貴重な資料となっています。
『吾妻鏡』に登場する富士山のキーワード
『吾妻鏡』には、富士山に関するいくつかの重要なキーワードが登場します。
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富士の巻狩: 源頼朝やその子である頼家が富士山麓で行った大規模な狩猟イベント。単なる狩猟ではなく、幕府の権威を示すための軍事演習としての側面もありました。
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人穴: 富士山の噴火によって形成された溶岩洞穴。源頼家が家臣に探索を命じたという記述があります。洞窟内では不思議な現象が目撃されたとされ、浅間大菩薩の住処と信じられていました。
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浅間大菩薩: 富士山の神格化された存在。富士山が信仰の対象として描かれ、浅間大菩薩や富士大菩薩という呼称が用いられています。
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富士信仰: 富士山を神聖視する信仰。江戸時代に隆盛を極めた富士講の起源ともいえる信仰が、鎌倉時代から存在していたことが『吾妻鏡』の記述からも確認できます。
富士山を舞台にした鎌倉時代の出来事
1. 富士の巻狩 ~幕府の権威を示す場~
『吾妻鏡』には、源頼朝が建久4年(1193年)に行った富士の巻狩の詳細な記録が残されています。巻狩は、多くの御家人を動員し、富士山麓で大規模な狩猟を行うことで、幕府の権威を内外に示す重要なイベントでした。曽我兄弟の仇討ち事件も、この巻狩の最中に起こっています。
2. 人穴探索 ~異界への入り口~
建仁3年(1203年)、源頼家は家臣の仁田四郎忠常に命じ、人穴の探索を行わせました。人穴は、富士山の噴火によってできた溶岩洞窟であり、当時は異界への入り口と考えられていました。『吾妻鏡』には、洞窟内で大蛇が現れたり、三途の川が見えたりといった不思議な現象が記録されており、当時の人々の信仰や世界観を垣間見ることができます。
富士山信仰の萌芽
『吾妻鏡』の記述からは、鎌倉時代にはすでに富士山を神聖視する信仰が存在していたことが分かります。人穴が浅間大菩薩の住処と考えられていたことや、富士山周辺の土地が神領として管理されていたことなどが、その証拠と言えるでしょう。
江戸時代に隆盛を極める富士講のルーツは、鎌倉時代に遡ることができるのです。
『吾妻鏡』から読み解く富士山の多面性
『吾妻鏡』における富士山関連の記述は、自然現象、信仰、伝説が交錯する形で描かれています。これらのキーワードは、富士山が単なる地理的存在ではなく、精神的・文化的な象徴として日本人に深く根付いていたことを示しています。
鎌倉武士たちは、富士山をどのように見ていたのでしょうか? それは、畏敬の念を抱き、信仰の対象として崇め、時に権威を示す舞台として利用する、多面的な存在だったのではないでしょうか。
最後に
『吾妻鏡』を通じて、鎌倉時代の富士山に対する人々の想いに触れることができました。時代を超えて、人々の心を捉えてやまない富士山の魅力は、これからも私たちを魅了し続けることでしょう。