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青木ヶ原樹海:貞観噴火が生んだ神秘の森

富士山といえば、その美しい姿が思い浮かびますよね。でも、実はその背後には、長い歴史の中で何度も噴火を繰り返してきたドラマがあります。今回は、そんな富士山の知られざる一面と、噴火によって生まれた神秘的な「青木ヶ原樹海」について、一緒に探ってみましょう。

この記事は、静岡大学リポジトリに掲載された論文「世界遺産・富士山と伊豆半島ジオパーク」を参考に、その歴史的背景と科学的な側面を紐解いていきます。

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貞観の大噴火(平安時代)

平安時代の貞観6年(864年)、富士山は大規模な噴火を起こしました。この噴火では、二列に並んだ火口が開き、そこから溶岩が流れ出しました。この溶岩は数ヶ月間にわたりゆっくりと流れ続け、当時存在していた「せの湖」という大きな湖を分断し、現在の「西湖」と「精進湖」を形成したと言われています。さらに、溶岩流は本栖湖の一部を埋め立て、現在の地形を作り出しました。これらの地形は、富士山の噴火のエネルギーと自然の力が創り出す壮大な景観を物語っています。

青木ヶ原樹海:溶岩の上に育まれた森

青木ヶ原樹海は、まさに「青木ヶ原溶岩」の上に形成された森です。溶岩が冷えて固まる際に生じた凹凸の多い地形は、そのまま樹海の姿にも反映され、独特な景観を作り出しています。樹海の中には、溶岩が冷えて固まる際にできた特有の地形が見られ、表面はごつごつとしています。この地形で雨水が地下にしみこみやすい性質も手伝って、鬱蒼とした樹林が形成されました。かつて炭焼きのために木が伐採されたこともありますが、現在では樹林に戻り、原始の姿に近い森が維持されています。



樹海を歩くと感じられる自然の力

この樹海を歩くと、過去の噴火の記憶や大地の力強さを感じることができます。溶岩が湖を分断し、そこに森が生まれ、時を超えて私たちは自然の変遷を目撃しています。論文にもあるように、青木ヶ原溶岩は穏やかな噴火によりゆっくりと流れたとされています。しかし、流出した溶岩の末端には独特の形があり、その形から溶岩が湖の中へどのように流れ込み、冷え固まったのかを想像することもできます。さらに、表面が固まっても内部の溶岩には圧力が残っており、固まった表面を割って新たに割れ目が広がっていくこともあるのです。

まとめ

貞観噴火とその後の時間経過がもたらした青木ヶ原樹海。この記事では、論文に示された知見を基に、その自然の力強さと歴史的な背景を考察しました。自然の脅威とも恵みともいえる火山活動によって生まれた、これらの場所の過去を紐解いてみると、より一層奥深く楽しむことができるのではないでしょうか。この記事が、皆様の旅の一助となることを願っています。

参考文献
世界遺産・富士山と伊豆半島ジオパーク



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富士山ガイド竹沢
静岡県裾野市在住。 富士山に暮らす富士山ガイド 富士山エコネット認定 エコツアーガイド 日本山岳ガイド協会認定 登山ガイドステージⅡ