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富士山を学ぶ:青木ヶ原樹海の成り立ち。

青木ヶ原樹海
宝永火口
富士山を学ぶ:火山としての富士山今回は火山としての富士山をテーマについて学んでいきます。 富士山は古来より噴火を繰り返しながら今の新富士火山と呼ばれる私たちが見慣れた富士山として形成されました。 そして富士山は活火山です。富士山が最後に噴火したのは今からおよそ300年前の西暦1707年宝永の大噴火。 それ以来噴火をしていませんが、活火山とは将来も噴火を起こす可能性のある火山で、最近1万年以内に噴火したことがある、もしくは現在も噴気活動の見られる火山と定義されています。...

富士山の北西の山腹から西湖・精進湖・本栖湖の一帯に広がる森林地帯。隙間なく樹木が生い茂り山頂などから見下ろすと、その様子が海のように見えることから青木ヶ原樹海と呼ばれる手付かずの原生林。

今回は「青木ヶ原樹海の成り立ち」について学んでいきます。

青木ヶ原樹海は、今からおよそ1150年前、平安時代の貞観6年(西暦864年) 富士山北西山腹(主に長尾山)の大規模な割れ目噴火「貞観の大噴火」によって流出した溶岩が土台になっています。

この噴火は有史以来最大ともいわれ、流出した溶岩は、森を焼き払い、湖を埋めつくし、動植物が一切生息することができない死の大地に一変させてしまうほど大規模なものであったと考えられています。
その噴火の様子が当時の歴史書「日本三代実録」でも伝えられ「森林を焼き払い人家をなぎ倒し畑を埋め尽くし。。」などその凄まじさが語られています。
同年6月に始まった噴火は、炎を上げ火山灰や火山弾などの火砕物を飛び散らせながら溶岩流を降下させ本栖湖と剗の海へ流れ込みます。そのあとじわじわと湖を埋め尽くし、やがて剗の海は分断、精進湖と西湖になります。

溶岩流に覆われた大地は、5〜6年は樹木も生えず、生物も生きていけない状態となります。そののち、風雨などにより少しずつ表面の風化が進み、溶岩が砂礫状に変化、くぼ地には雨水による水たまりができ始めます。
この状態からようやくバクテリアなどの微生物が生息できるようになり、やがて土壌化が進み保水力が出てくると、風によって運ばれてきた種子のうち、貧栄養状態でも耐えられる植物が生育できるようになります。
そして、周囲の山などから飛んできた枯れ葉や枯れ枝の分解、空を渡る鳥の糞や虫の飛来などによって徐々に栄養分が増え、多種多様な動植物が生息・生育できる環境に変化していきます。

ある程度高木の樹木が生育できるようになるまで200年かかるとされており、樹海も噴火後の200〜300年くらいは少しずつ植物が見られた程度で、現在のような樹木が生育を始めたのは11世紀以降。そして、本格的な森林地帯が生まれたのは14世紀以降、さらに青木ヶ原樹海といわれるほどの広範囲に森が広がるようになったのは今から300年ほど前と考えられています。
つまり、青木ヶ原樹海の森としての年齢はおおよそ300歳になります。

このようにまだ若い森である青木ヶ原樹海は、地表の多くがいまだ溶岩が剥き出しになっており土壌が貧弱で、植物の種類も少なくヒノキやツガなど針葉樹が中心の繁栄途上の森です。
そのような状況下でも少しづつ緑を増やす事で成長を続ける森、青木ヶ原樹海。
広さはおよそ30平方キロメートル、山手線の内側の面積の半分、東京ディズニーランド6個分の広さです。
その広範囲に及ぶ青木ヶ原樹海を、植生・動物・地質など様々な方向から次回以降学んでいきます。

参考資料

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インタープリター竹沢
静岡県裾野市在住。 人と自然をつなぐインタープリターでありたい。 富士山エコネット認定 エコツアーガイド 日本山岳ガイド協会認定 登山ガイドステージⅡ