今日の富士山から
昨日、富士山域に雪が降った。
3月の雪だ。麓から見上げると、森の木々にも白いものが積もり、あたりは一瞬だけ冬に戻ったような静けさに包まれた。
だが今日、天気は回復した。朝の光とともに雪は溶け始め、樹の枝から雫が落ちる音が聞こえてくる。この「降って、溶ける」という繰り返しこそが、春の富士山の証だ。
この雪を眺めながら、ふと思った。昔の人は、この同じ白い山を見て、何を感じていたのだろうか。
富士山の雪は「神の領域」だった
古来、富士山の雪は単なる気象現象ではなかった。
万葉集には山部赤人が富士山を詠んだ歌が残っている。「田子の浦から眺めると、富士の高嶺に真白に雪が降り積もっている」という情景だ。奈良時代の人々にとって、富士山の白い頂きは、神が宿る場所の証そのものだった。
平安時代には、富士山はまだ活火山として噴煙を上げていた。雪をまとった山から煙が立ち上る光景は、当時の人々には「神の息吹」に映ったことだろう。更級日記を書いた菅原孝標女も、東国への旅の途中で富士山を目にし、その雪と煙の神秘的な姿に強い印象を受けたことを記している。
雪が「信仰」を形づくった
富士山信仰において、山頂の万年雪は特別な意味を持っていた。
江戸時代、富士講と呼ばれる富士山参拝の講(グループ)が全国各地に生まれた。白装束を身にまとった人々が「六根清浄」と唱えながら雪道を登る光景は、当時の富士山の風物詩だった。山頂の雪に触れることは、穢れを祓い、魂を清める行為とされていた。
雪そのものが、信仰の道具であり、目的だったのだ。
江戸の人々が愛した「雪の富士」
文化・芸術の面でも、富士山の雪は特別な存在感を放っていた。
葛飾北斎の「富嶽三十六景」には、様々な季節・角度から見た富士山が描かれているが、雪をまとった冬の富士の凛とした美しさは、シリーズの中でも特に人々の心をつかんだ。雪があるからこそ、富士山は「完成した山」に見えると言っても過言ではない。
歌川広重も、富士山の雪景色を繰り返し描いた。江戸の庶民は、浮世絵を通じて遠くの富士山の雪を「旅した気分」で楽しんでいたのだ。
「富士の初雪」は江戸城への公式報告だった
少し驚く話がある。
江戸時代、富士山に初雪が降ると、駿河国(現在の静岡県)の代官がその情報を江戸城に早馬で報告する慣わしがあったという。将軍への報告事項だったのだ。それほどまでに、富士山の雪は国の象徴として扱われていた。
現代で言えば、富士山の初冠雪は今も気象庁と甲府地方気象台が観測・発表しており、毎年ニュースになる。形は変わっても、日本人が富士山の雪に特別な関心を寄せる文化は、脈々と続いている。
今の雪が教えてくれること
現代の登山者にとって、3月の富士山の雪は「危険のサイン」でもある。
春山の雪は、冬の乾いた雪と性質が異なる。気温の上下によって締まったり緩んだりを繰り返し、アイスバーンになりやすい。雪崩のリスクも高まる。富士山の本格的な登山シーズンは7〜8月だが、残雪期の春山を歩く場合はアイゼンの携行が必須だ。
一方で、雪解け水は富士山麓の自然にとって命の水だ。今日溶け始めた雪は、やがて地下に浸透し、湧水となって麓の川や湖を潤す。富士山の豊かな水系は、この「降って溶ける」繰り返しによって育まれている。
昔も今も、雪は富士山の魂
昨日降り、今日溶け始めた雪。
それは万葉の歌人が詠んだ雪と、本質的には同じものだ。同じ山に、同じように降り、同じように溶けていく。時代が変わっても、富士山の雪は変わらず日本人の心に何かを語りかけてくる。
ガイドとして富士山の麓に暮らしていると、季節の変わり目に降るこういった雪が特別に感じられる。春と冬のはざまで、山は静かに深呼吸しているようだ。
雪が溶けたあとの富士山麓を、ぜひ歩きに来てほしい。雪解け水を含んだ大地は、1年でいちばん柔らかく、豊かな顔をしている。
富士山ガイド竹沢は、富士山麓・青木ヶ原樹海のガイドツアーを行っています。春の自然観察ツアーのご予約お待ちしております。