富士山に魅せられた皆さんなら、きっと古の時代から人々がこの神々しい山に抱いてきた深い畏敬の念を感じたことがあるでしょう。今回ご紹介するのは、富士山信仰の源流ともいえる驚くべき伝説です。それは修験道の開祖として知られる**役小角(えんのおづぬ)**にまつわる、幻想的で神秘的な物語です。

謎多き修験者・役小角とは何者か?
**役小角(634-701年)**は、飛鳥時代に実在した人物で、修験道の開祖として崇められています。現在の奈良県で生まれ、熊野や大峰で厳しい修行を重ねた彼は、**役行者(えんのぎょうじゃ)や役優婆塞(えんのうばそく)**とも呼ばれ、数々の霊験を示したとされています。
役小角の姿は、修験道系の寺院で多く見ることができます。年老いた姿で髭を蓄え、脛を露出させて高下駄を履き、頭巾を被って錫杖と巻物を持つ姿が一般的です。そして最も特徴的なのが、呪術によって**前鬼・後鬼(夫婦の鬼)**を従えているという描写です。
流罪から生まれた奇跡の伝説
物語の舞台は699年(文武天皇3年)。役小角は「呪術で人を惑わしている」という讒言により、伊豆大島に流刑となりました。この事実については『続日本紀』(797年完成)にも記録されており、歴史的根拠があります。
しかし、ここからが驚くべき伝説の始まりです。
夜な夜な海を渡る超人的修行
『日本霊異記』(824年完成)によると、役小角は流刑先の伊豆大島で並外れた修行生活を送っていました:
- 昼間は勅命に従い、大島で謹慎して修行
- 夜になると海上を歩いて富士山へと向かい、山中で修行を続ける
この超自然的な能力により、役小角は毎夜富士山で修行を積んでいたというのです。現代の私たちから見れば荒唐無稽に思える話ですが、この伝説が後の富士山信仰に与えた影響は計り知れません。
富士山修験道の源流
役小角の富士山での修行は、後の**富士修験(村山修験)**の原型となったともいわれます。平安時代に書かれた『富士山記』でも「昔役の居士といふもの有りて…」として役小角が紹介されており、富士山における修験道の歴史的重要性を物語っています。
現在でも静岡県富士宮市の村山浅間神社には、役小角と鬼の木像が安置されており、この伝説の痕跡を見ることができます。
伝説が語る富士山の神聖性
この伝説の背景には、古代から富士山が持つ特別な霊力への信仰があります。役小角が流刑という厳しい状況にありながらも、なお富士山での修行を求めたという設定は、富士山が単なる山ではなく、神聖な修行の場として認識されていたことを示しています。
現代に続く修験の心
役小角の伝説は、富士山が持つ神秘的な力と、人間の限界を超えた精神修行の可能性を物語っています。科学的な説明では理解できない現象であっても、富士山という霊峰が人々の心に与える深い影響は、現代でも多くの登山者が体験していることでしょう。
毎年多くの人々が富士山に登り、その雄大な姿に心を奪われるのは、もしかすると1300年以上前から続く、この山への深い畏敬の念の表れなのかもしれません。